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ゲアハルト・ヴィースホイ - 日独の架け橋をわたる人

ベルリン日独センターの評議会議長ゲアハルト・ヴィースホイ氏は今年2月12日に還暦を迎えました。福田康夫元首相からお祝いメッセージが寄せられ、ヴィースホイ氏の日独友好への貢献に称賛と期待の言葉をいただきました。

Gerhardt Wiesheu spricht bei der JDZB open Week

日本とドイツはいずれも人口は多いが(日本約120 million、ドイツ80 million)、石油などの天然資源には乏しい。そして、両国共に第二次世界大戦の敗戦国である。戦後国土の灰燼の中から奇跡とも言われる復興と経済成長を遂げ、世界有数の経済大国となった。先進国の集まりであるG7のメンバーであり、自由民主主義の守り手でもある。製造業の発展が目覚ましく、日本でいえば職人気質、ドイツでいえばマイスターと言われるように、モノづくりを重視している。

共通点が多く、国民気質としても「相性の良い」と思われる日本とドイツであるが、地理的には遠く離れており、また、言語や文化習慣の違いは大きい。両国民の関係強化は自動的、必然的には成り立たない。そんな中で、長年にわたり両国の「架け橋」となっているのが、メツラー・ホールディング代表取締役のゲアハルト・ヴィースホイ氏である。

興味深いことに、私と同氏の最初の出会いは、日本の政治家とドイツの経済人の同氏としての仕事上の関係では必ずしもなかった。ヴィースホイ氏の御子息の弘貴(ヒロキ)氏は、2007年当時、ドイツから日本に留学していた。丁度、同年7月に私の地元である群馬県で知事選挙があり私は選挙対策責任者を務めていたが、その選挙に弘貴氏が大学生インターンとして参加していた。そのご縁で弘貴氏を通じて父上のヴィースホイ氏とも面識を得て、親しくお付き合いさせていただくに至ったのである。

ところで、同年8月、私は日本の総理大臣となった。翌年の2008年には北海道(洞爺湖)でG8サミット(主要先進国首脳会合)を主宰するに至った。同サミットでは地球温暖化問題と二酸化炭素排出の削減が大きなテーマの一つであった。2030年までに排出を50%削減するという(当時としては)野心的な目標に、米国が難色を示し、サミットの前日になっても宣言案がまとまらなかった。結局、当日の朝に私がブッシュ大統領と膝詰めで談判し、同大統領の理解も得てようやく宣言をまとめることができた。その際、メルケル首相がことの他に合意を喜んで、「これで胸を張ってドイツに戻れる」と高く評価してくれたことを、今でも覚えている。首相として交流した数多くの各国首脳の中でも、そのときのメルケル氏の笑顔は強く印象に残っており、私にとってもっとも真摯・誠実で信頼できる相手の一人であった。

 ところで、私は弘貴氏を通じてヴィースホイ氏、魅力的な同氏夫人の由美子さんと親交を深めていった。日本駐在経験もある同氏は日本語に堪能であり、日本の財界にも知己が多い。日本の経済団体や大学等で講演を重ねるとともに、ビジネスマンとして日独のビジネス交流促進に尽力されてきた。かかる貢献もあり、2015年には日独の友好親善関係の増進に多大な貢献をしているとして、日本の外務大臣から表彰受賞を受けた。その後も、2015年と2019年のメルケル首相訪日に同行するなど、ドイツ経済界の代表メンバーとして、ドイツ政界要人ともに両国間のパートナーシップ強化に尽力されている。

 また、ヴィースホイ氏は、バイロイト音楽祭の財団理事長でもあり、これまで私は何度かお誘いをいただいているが、いつも都合がつかず残念に思っている。バイロイト音楽祭は日本でも極めて有名で、音楽愛好家なら知らぬものはいない。いつかゆったりとした気分でワグナーを楽しみたいと願っている。

 ヴィースホイ氏は本年60歳になられると伺っている。日本には干支(Chinese Astrological Calendar )という考え方があり、人間の運命が車の両輪のような10年と12年という二つのサイクルの組み合わせによって,進展(evolve)していくと言われている。1012の最小公倍数

60である。60歳は干支の二つのサイクルが何度も回って出生時の基にぴったりと戻ることから(本家帰り)、人生の節目として大きくお祝いする。ちなみに、十二支については毎年それぞれシンボルとなる動物が決められており、1962年生まれのヴィースホイ氏のシンボルは「トラ」である。虎のように果敢に積極的に、引き続き架け橋として日独両国の交流親善の促進に貢献し続けていくことを期待したい。

2022年1月20日

著者: 福田康夫(元日本国総理大臣)