ユルグ・ブットゲライト――ブットゲライト監督と「ゴジラ」、日本の怪獣たちリレー❤︎エッセイ 日独交流の懸け橋をわたる人)

日本人ならゴジラを知らない人は一人もいないのではないでしょうか――昭和・平成シリーズどころかミレニアムシリーズも存在するのですから。ドイツでは1960年代から70年代にかけて日本のゴジラ映画が大ブームでしたが、今はハリウッド版のほうが知られています。今回の「リレー♥エッセイ」では、ベルリン日独センター元職員の藤野哲子さんが、ゴジラを愛してやまないドイツ人映画監督を紹介します。

BUTTGEREIT at G-Fest2002

ベルリン日独センターは日独交流160周年を記念し、リレー❤︎エッセイ「Brückengängerinnen und Brückengänger 日独交流の懸け橋をわたる人・わたった人」をはじめました。このリレー❤︎エッセイでは、先人の『Brückenbauer 日独交流の架け橋を築いた人々』(ベルリン日独センター&日独協会発行、2005年)が培った日独友好関係をさらに発展させた人物、そして現在、日独交流に携わっている人物を取り上げます。著名な方々だけではなく一般の方々も取り上げていきますので、ご期待ください!なお、エッセイの執筆はベルリン日独センターの現職員や元職員だけでなく、ひろくベルリン日独センターと関わりのある方々にもお声がけしています。

ユルグ・ブットゲライト監督(Jörg Buttgereit、1963年生まれ)。この名はマニアックな映画ファンの間では、ネクロフィリア(死体愛好家)を題材とした衝撃的な作品『ネクロマンティック』(1987年)で知られ、カルトな人気を持つ映画監督です。その彼が日本の「ゴジラ」の大ファンであり、ファンが高じて怪獣映画のドキュメンタリー映画を製作したり、書籍を出版したりしていることは、日本では(ドイツでも?)あまり知られていないでしょう。
ここでは「ゴジラ」を通しての彼と日本との関わり、そして筆者とのいくつかの関わりについてご紹介したいと思います。

 

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Directer BUTTGEREIT with Godzilla Head at Kabukicho
新宿歌舞伎町のゴジラヘッドとブットゲライト監督

ブットゲライト監督は1963年に生まれ、ベルリン・シェーネベルク区で育ちました。初めてゴジラ映画を見たのは近所の映画館で当時4歳だったそうです。

「東京の街をのし歩き、火炎を吐き出して街を破壊する怪獣、それはとても恐ろしく、かつ魅力的で、そして最後にはかわいそうだとも感じた。間違った時代に、間違った場所にいるだけで、本当は悪いことをするつもりなどないのでは。」(Jörg Buttgereit (2002) Exposé Monsterland)

そう感じた彼は小学生だった70年代の初め頃から、毎週末に近所の映画館で上映される『ゴジラ対ヘドラ』(坂野義光監督)などの怪獣映画を見て育ちました。この映画は1971年8月に日本で封切られていますが、わずか数ヶ月後にはドイツでも上映されるほど人気があったこと、そしてベルリンの子ども達が週末に楽しみに見ていた映画のほとんどが日本の怪獣映画やSF映画だったことは驚きです。ブットゲライト少年にとって「日本」とは「怪獣映画の国」あるいは「怪獣の国」という特別な国だと位置づけられていたのでしょう。

 

怪獣映画事典『Monster aus Japan greifen an』

 監督は何年もかけてあらゆる日本の怪獣映画を見たそうです。そして1998年、ドイツで公開された日本の怪獣映画作品を網羅した怪獣映画事典『Monster aus Japan greifen an』(怪獣大襲撃)、Belleville Verlag 出版、1998年)を出版しました。この時監督は35歳、すでに『死の王』(1989年)、『ネクロマンティック2』(1991年)など短編を含め17本もの作品を製作した映像作家となっていましたが、変わらず日本の怪獣映画を愛して研究する情熱を持ちつづけていたのです。

この本が出版された1998年は日本以外で初めてゴジラ映画が製作された年であり(『ゴジラ』、ローランド・エメリッヒ監督)、ティム・バートン監督やスティーブン・スピルバーグ監督がゴジラファンであることを告白して、新たなゴジラブームが巻き起こった年でもありました。 ちなみにエメリッヒ監督もドイツ出身です。

 

ドキュメンタリー映画『Die Monsterinsel 怪獣島』

 怪獣映画のドキュメンタリー『Die Monsterinsel 怪獣島』(西ドイツ放送局、2002年)は2002年10月にドイツの公営放送局・西ドイツ放送局(WDR)の「Lange Monsternacht」(ロング・モンスターナイト)の企画で、ブットゲライト監督が45分の作品として製作・発表することになりました。ブットゲライト元少年、遂に怪獣の島日本へと上陸、というわけです。少年時代に見て育った怪獣映画の製作者たちに実際に会い、取材をして、ドキュメンタリーにまとめあげることは、本人にとっては夢のようなことだっただろうと思います。このとき筆者はそのお手伝いをしたのでした。

筆者とブットゲライト監督とはその1年前の2001年、監督が西ドイツ放送局のために制作したラジオドラマ作品でお仕事をさせていただいたのが出会いです。これがご縁となって、その後いくつかのプロジェクトで微力ながらお手伝いしましたが、この2002年の『Die Monsterinsel 怪獣島』はもっとも印象に残るものでした

ドキュメンタリーを撮りにいよいよ日本へ!の前に、まず向かったのはアメリカのシカゴでした。毎年7月シカゴ市郊外のローズモント市で開催される「G-FEST」(ジーフェス)を取材するためです。毎年2000人以上の熱心なゴジラファンが集い、ゴジラ・ガメラ映画の上映はもちろん、ゲストによる講演から怪獣着ぐるみパレード、書籍・DVD・フィギュアの販売までジーフェスは世界最大の日本怪獣映画ファンの祭典です。2002年のジーフェスには川北紘一監督(平成ゴジラシリーズ)や破李拳竜さん(同シリーズの怪獣役スーツアクター)がゲストで参加しており、日本上陸前にまずアメリカで彼らをインタビューすることになりました。

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BUTTGEREIT uns das Monster Guilala
2008年5月のインタビュー撮影で(石井良和特撮助監督、ブットゲライト監督、ギララ、スタッフさん)

その後の日本での筆者の役割はインタビュー通訳だけでなく、慣れない「コーディネイター」というものでした。インタビュー相手とのファーストコンタクトから、日程の調整、ロケの撮影手配までまったく未経験の仕事の連続で正直本当に大変でした。

それでも限られた日程のなか、湯浅典明監督(昭和ガメラシリーズ)、坂野義光監督(『ゴジラ対ヘドラ』)、山下賢章監督(『ゴジラVSスペースゴジラ』、1994年)、金子修介監督(平成ガメラシリーズ)、樋口真嗣監督(平成ガメラシリーズ特技監督)、若狭新一さん(怪獣造形専門の彫刻家、特殊メイク師)、中島春雄さん(ゴジラの中に入るスーツアクター)など、錚々たる方々がお時間をとってくださり、なんとか撮影場所も確保し、インタビューを撮ることができました。

特に昭和ゴジラの中の人、中島春雄さんとお会いしたときのブットゲライト監督の様子はまるでアイドルに会うかのようでした。子どもの頃から見てきた、あのゴジラに会えたのですからそれもうなずけます。中島さんは怪獣として建物を破壊する時に、自然に振る舞うことを大事にしていたというエピソードも語っておられました。ゴジラ自身は建物を壊すぞ!という意思はないわけなので、「壊そう」とは考えず、「ただ歩くだけ」と思って演じたそうです。そして、ゴジラとして破壊の場所をゆっくり、堂々とあとにすることを心がけていました。

また、川北紘一監督とのインタビューの中で、ブットゲライト監督は「70年代は日本の怪獣映画はすべてドイツに来たのに、なぜ今は来なくなってしまったのか」と質問していました。そもそもこのドキュメンタリーの企画は、60年代70年代にはほぼすべてドイツに輸入されていた日本の怪獣映画が、80年代以降まったく輸入されなくなった現状を残念に思い、もう日本の怪獣映画は終わってしまっていると思い込んでいるドイツの観客のために、今でも新しい怪獣映画は作られつづけていることをアピールする意味で立ち上げられたものでもあったのです。この質問に対する川北監督の答えは、70年代当時は東宝の支社がヨーロッパ各地にあり、直接積極的に配給していたけれど、その後はトライ・スター(現トライスターピクチャーズ)が配給をしていて、当時とは状況が変わったからだろうとのことでした。残念なことです。


書籍になった『怪獣島』

ドキュメンタリー映画の数年後、ほぼ同名の書籍『Japan – Die Monsterinsel 日本怪獣島』(Martin Schmitz Verlag 出版、2006年)が出版されました。内容は1998年の『Monster aus Japan greifen an』(怪獣大襲撃)を拡充した怪獣映画辞典で、映画の中では一部しか紹介できなかったインタビューも、より詳細に紹介されています。この本の最後のページでは、怪獣映画のひとつとして自らの『Die Monsterinsel 怪獣島』も紹介されており、メディア学者のシュテファン・ヘルトゲン(Stefan HÖLTGEN)氏は「『Die Monsterinsel 怪獣島』は恐らく、映画の世界において日本とドイツの間の橋渡しをするのにもっともふさわしい作品だろう」(Die Monsterinsel 怪獣島, ページ 249)と評しています。ブットゲライト監督は自身が怪獣を追って日独の橋を渡っただけでなく、その後人々がつづいて渡れる橋を架けてくれたと言えるでしょう。


もうひとつのドキュメンタリー映画『モンスターランド』

その後監督は2008年に新しいドキュメンタリー映画『Monsterland』(モンスターランド、仏独共同文化放送局アルテ、2009年)を撮りに再度日本を訪れます。塚本晋也監督(『鉄男』、1989年)、中野昭慶監督(1970年代以降のゴジラシリーズ)、河崎実監督(『ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発』、2008年)、破李拳竜さん、薩摩剣八郎さん(スーツアクター、平成ゴジラの中の人)など再び豪華な顔ぶれの日本での取材に、筆者もご一緒しました。

 

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映画事典『Japan -Die Monsterinsel 日本怪獣島』、2021年11月8日改訂版発売
映画事典『Japan -Die Monsterinsel 日本怪獣島』、2021年11月8日改訂版発売

「怪獣島」の現在

今回このリレーエッセイを書くにあたってブットゲライト監督に連絡をしたところ、偶然にも書籍『Japan – Die Monsterinsel 日本怪獣島』は今年11月8日に修正・加筆版が再版されたそうです。興味を持たれた方がいらっしゃったら、ぜひ手にとってみてください(ドイツ語ですが…)。でも、書店で平積みになる種類のものではないので、ゴジラと同様簡単には遭遇できないのかもしれません。しかし、そこにはドイツ人監督の見た日本と、そこで暴れまわる怪獣たちの物語が描かれているでしょう。

 

追記:さらにご興味のある方はブットゲライト監督がゴジラのエキスパートとして出演している、こちらの動画も是非ご覧ください(ドイツ語ですが…)。https://www.youtube.com/watch?v=9CtY2IUe6BU

カバー写真: 2002年シカゴの G-Fest(ジーフェス)で

写真はすべてブットゲライト監督提供

 


このとき、ベルリン日独センター時代に同僚だったヨルグ・ライノフスキー氏にドイツ語の校正読みで大変お世話になりました。この場を借りて改めて感謝します。

FUJINO Akiko

藤野
哲子

著者紹介

立教大学&ベルリン自由大学(映画学)卒業。元ベルリン日独センター職員。現在は日本在住でフリーの通訳者・翻訳者。なぜドイツに興味をもつことになったのかと聞かれて、まともに答えられたことがない。もしかしたらきっかけは『トーマの心臓』(萩尾望都著)。