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サンドラ・へフェリン――二つの視点から日本社会を捉えるエッセイスト(リレー❤︎エッセイ 日独交流の懸け橋をわたる人)

ドイツ暮らしの日本人が「あれ?」と思うことがあるように、日本に暮らす外国の方が「あれ?」と思うことも多いでしょう。サンドラ・へフェリンは日独両方の視点で日本社会をみつめています。

Header Häfelin

    日独の長い交流の中で、これまで多くの方々が両者間に橋を構築すべく尽力してきたことでしょう。けれども自らの中にその懸け橋を抱え込んでこの世に生を受け、それをひとつの使命として仕事をしている人はさほど多くはないのではないでしょうか。今回ここで紹介するサンドラ・へフェリン(Sandra HÄFELIN、昭和50年生まれ)は、まさにその生まれながらの懸け橋として、現在日本で大活躍するエッセイストです。
    サンドラのコラムの特徴は、日独二つの視点から、日本人が気づけないことや当たり前と考えていること、奇妙に思いながらもなんとなく受け入れていること、日本社会の中では日本人としては指摘しにくいことなどが、なめらかな日本語で実に軽妙洒脱に文章化されていることにあります。彼女の興味の対象は実に幅広く、ファッションや食べ物、若者文化などの身近な話題から、日本の教育における諸問題や日本文化、文化的伝統、法律などに至るまでさまざまな内容が、そのコラムに取り上げられ、オンラインや書籍などで発信されています。

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Buchcover

彼女の記事は、時にドイツに憧れる日本人や、国粋的な考えを持つ日本人を刺激もします。たとえば最近の彼女のコラムで多くの日本人から否定的な意見が寄せられたのが、ドイツにおけるパン屋修行事情でした。主食を米とする日本ではパン屋は西洋的でおしゃれなイメージがあり、ドイツパンを好み、ドイツでのパン屋修行を本気で考える人が少なくありません。中には大学を卒業し、企業や学校での業務経験を捨ててドイツへパン修行に出立する人もいます。しかし、パン屋はドイツでは職人的な扱いのため、修業時代の給与は極めて廉価な上、朝の早いパン焼き職人の仕事は2時過ぎには始まります。日本でいえば豆腐屋として独り立ちする過程と似ているでしょうか。その事実をサンドラがコラムで指摘したところ、夢を阻まれたと多くの否定的見解が寄せられたそうです。でも、視点を変えてよく考えてみてはいかがでしょうか。何もかも放り出してドイツでのパン屋修行を開始したあとに現実に直面して後悔するより、事前に状況を認識して渡独したほうが良いのではないでしょうか。もちろんそれでもドイツのパン焼きを学びたい人をサンドラが無理に止めるわけではありません。
    もうひとつ Yahoo! で大炎上したのが、日本人が知らずにするナチス式敬礼等への配慮のない行動です。これについてもサンドラはドイツでのナチスの取り扱われ方を丁寧に解説する記事を書きました。しかし、その結果は大量の非難を誘発する事態となりました。しかし彼女はコラムの大炎上も文化の橋渡しの一環に過ぎないと言います。確かに、高校までの歴史教育の中で滅多にナチズムを学ぶことがない日本人が、彼女のコラムを通して突然事実を突きつけられ動揺するのは当然といえば当然です。しかし、たとえそれを受け入れられなかったとしても、その記事に反論することにより彼らが何らかの考えを持つきっかけにはなったはずです。
    教育問題に関わる彼女の指摘も実に鋭く、日本の教育界特有の重苦しい諸問題が軽やかな筆致で文章化されています。たとえば、繰り返し話題になりながらも一向に解消されない校則問題がその一例です。日本の教育界では「日本人は直毛の黒髪でなければならない」と深く信じ込まれており、学校が生まれつきの縮毛を矯正させたり、茶色っぽい毛色の生徒に対して毛染めを強要したりということがしばしば発生しています。この奇妙な学校文化をサンドラは冷静に分析し、そしてさまざまな毛質と毛色とが混合するドイツの教育現場の状況と比較して見せます。日本だけで生活していると、学校における直毛黒髪信仰に特段注意を払わない人も、サンドラのコラムを通して、改めてその画一主義に気づかされることでしょう。

このようなサンドラの活動の背景にあるのは、母語をドイツ語と日本語の二つの言語とする彼女の考え方です。ドイツ人の父と日本人の母との間に生を受けたサンドラは、家庭内の規則として父親とはドイツ語、母親とは日本語を使って育ちました。幼い頃は、専業主婦だった母親と接する時間のほうが長かったため、彼女は日本語のほうが得意でした。その後、彼女が教育を受けた言語はドイツ語、そして日本語については週末の日本語補習学校で中学3年生までの課程を履修しました。結果として彼女はドイツ語で話しをする際には低文脈(言葉に表現される内容のみが情報としての意味を持つコミュニケーション)、日本語で話しをする際には高文脈(実際に言葉として表現された内容よりも豊富な内容が伝わるコミュニケーション)で考え表現しながら、自在に状況と相手に対応して両方の言語を使い分けて暮らしています。彼女の中ではドイツ語と日本語のいずれかに比重を置くことは不可能であり、言葉が人間のアイデンティティを決定づけるものであるとすれば、サンドラの場合は明らかにドイツ語と日本語の二つの言語です。

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Sandra Häflein auf dem Podium

その考え方を証明するように、彼女の書く記事や YouTube などの映像では、その名前や姿が出てこない限り、誰も彼女が二つの言語を操る人間だとは思わないでしょう。それというのも彼女の日本語は完全に母語話者のそれであり、日本で教育を受けた人よりもむしろ達者な日本語を駆使して仕事をしているからです。興味深いのは、彼女の日本語が、その文章の組立や文法までが日本人独特のもので、教育言語がドイツ語であることは記事からは全く読み取れないことです。
    このような言語背景を持つサンドラが日本に移り住んだ理由は、母語として与えられた日本語を用いる国に暮らし、内部から日本を知りたいと考えたことでした。1998年に来日した彼女は日本社会を知るために日本の英語学校講師やフリーランサーとして仕事をした後、7年間日本企業に正規に勤務し、海外進出部門を担当しました。このような職歴が彼女の記事に厚みを与え、そして、彼女は今やあちこちのメディアで引っ張りだこの人気コラムニストとなりました。
    多くのコラムやインタビューをこなす生活の中で、サンドラが独日〈あるいは日独〉の懸け橋として今後もやりたいことは、多様性を認める文化育成のための発信を日本語で続けることです。多様性、ダイバーシティ等、日本では近年頻繁に耳にする概念になっているものの、実際にはそれとはほど遠い現実がまだまだ存在します。たとえば、2021年にノーベル賞を受賞した真鍋淑郎氏の国籍問題、日本と外国双方の血を受け継いだ人々に関わる問題、難民受け入れ問題、あるいは既に言及した日本独特の校則問題などがそれです。こうした、日本国内だけで生活していると当たり前すぎて気づけない事柄、あるいは、日本人だと忖度が働き発信しにくかったり、発信に細心の注意が必要だったりする事柄などについて二つの言語観から鋭く指摘し、日本人に新たな視点を与えてくれるのがサンドラ・へフェリンです。

 

 

 

 

 

 

ホームページ:http://half-sandra.com/
★著書★
「ハーフが美人なんて妄想ですから!!」(中公新書ラクレ、2012年)
「体育会系 日本を阻む病」(光文社新書、2020年)
「なぜ外国人女性は前髪を作らないのか」(中央公論新社、2021年)

★連載記事★
<連載>朝日新聞GLOBE+「ニッポンあれやこれや“日独ハーフ”サンドラの視点」、https://globe.asahi.com/author/11002249
<連載>PRESIDENT Online の執筆記事、https://president.jp/list/author/サンドラ・ヘフェリン
<連載>読売新聞大手小町「サンドラがみる女の生き方」、https://otekomachi.yomiuri.co.jp/tag/sandra/
<連載>ドイツ大使館YG 連載「日独ハーフの視点」、https://young-germany.jp/author/haefelin/

文中写真はへフェリン氏提供。

 

Yurika SAMMORI-MABUCHI

三森[馬淵]
ゆりか

著者紹介

つくば言語技術教育研究所所長

    軍人としてドレスデンに留学経験のある祖父からドイツでも通用する名前として「ゆりか」と名付けられる。独文を学んだ産経新聞特派員の父とともに1971年~1975年にボン滞在。当地で外国人受け入れ指定校だったギムナジウムに通い、国際的な環境の中でドイツ語で教育を受ける。上智大学卒業後、商社にてトラバントの部品工場建設のための東独プロジェクトチームに配属され5年ほど勤務。その後、ギムナジウムで衝撃を受け、その際に抱いた疑問である、主にアジア系がドイツの教育になかなかなじめない理由を追及すべく、日本の母語教育である「国語」とは全く異質のドイツの母語教育を研究し、アメリカ・カナダ・英国・スイス・スペイン・デンマーク・フランスなどの教育機関の視察をしながら、日本における欧米型の母語教育のカリキュラムと教材、指導方法を開発。現在、幼稚園から大学院までの教育機関、オリンピック委員会、日本サッカー協会をはじめとするスポーツ団体(東京2020オリンピックでは教え子の乙黒拓斗、須崎優衣がレスリングで金メダル獲得)、JR東日本、JR西日本などをはじめとする各種企業、外国人対象の日本語教育などで、欧米で一般に実施されている言語教育の内容を、日本人にとっての母語である日本語で教える教育に携わっている。三森の活動目的は、日本の母語教育を通して、ドイツを含む国際社会への懸け橋となることである。著書に、『ビジネスパーソンのための「言語技術」超入門』〈中公新書ラクレ、2021年〉、『大学生・社会人のための言語技術トレーニング』〈大修館書店、2013年〉他。

ホームページ:https://www.laitjp.com/about_LAIT.html