青少年交流部の牧野ひとみと三浦なうかは、日々の業務に心血を注いでいます。ここでは牧野ひとみが、青少年交流プログラムの旧参加者に、プログラム参加当時の思い出と、現在の生活について語ってもらいました。
牧野:いつ頃から、なにがきっかけでドイツに興味を持つようになりましたか?
田邉:2003年に仕事でドイツを訪れたことがあり、散歩中に何気なく入った教会でいきなり涙が溢れてきました。その時に「私はいつか必ずドイツで生活する」というインスピレーションのような想いが突然降りてきたのがきっかけです。
牧野:日独勤労青年交流の情報はどのようにして入手し、その後応募するにいたった動機や理由について教えてください。
田邉:いつかドイツに行くために勉強していたドイツ語講座のテキストに日独勤労青年交流の募集要綱が載っていました。これまた直感で当時の自分に最適のプログラムだと思ったので迷わず応募しました。ドイツでの滞在期間が約二週間あり、現地では省庁や企業訪問に加えホームステイもできて、ドイツ側の参加者たちとも知り合える、そして日本でもプログラムが開催される。とにかく魅力的なプログラムだったので是が非でも参加したかったです。とは言え、会社勤務でしたので上司にまずは要相談。私は比較的自由な勤務形態で仕事をしていたのと、当時の上司がものすごく理解のある人だったおかげで無事に応募の許可を得られました。すべてがラッキーだったと思います。
牧野:日独勤労青年交流事業の参加決定通知が届いた瞬間のことを覚えていますか?
田邉:会社宛に届きましたが、確か私ではなく前述の上司に宛てて届いたような記憶があります。当時、会社に届いた郵便の振分けは私の業務だったので、通知と思しき封筒をドキドキしながら上司に渡しました。参加決定の文字を見た瞬間、もっのすごく喜んだのを憶えています!上司もとても喜んでくれました。懐かしいですね。
牧野:日独勤労青年交流に参加してみてどうでしたか?ドイツでのプログラムやドイツ団員との出会いは?
田邉:もうこれは本当に私にとって大正解の交流プログラムでした。
ドイツでのプログラムで最初にインパクトがあったのはドイツ連邦労働社会省訪問です。省庁というとお堅いイメージがありましたが、建物内で働いている人たちがものすごくカジュアルな装いだったり、すれ違う人々の雰囲気がとても明るくて、イメージしていた世界とは全く異なるものでした。雰囲気からだけではありますが、働きやすそうな職場環境の匂いがプンプンする印象を受けたのを憶えています。また、訪問先の一般企業でも、担当者の方から教えていただいたさまざまな内容と同時に、現地で直接空気感のようなものを感じ取ることができたのがとても参考になりました。
プログラムでは「ワークライフバランス」がテーマでしたが、私は個人的にそれに加えて帰国後に社内で行なえる企業の社会的責任(CSR)についてのヒントを何か得たいと思っていました。そして、なにより、大好きなドイツのことについてどんなことでも知りたかったので、ぎっしり詰まった毎日のプログラムでの適度な緊張感がとても心地好かったです。2003年にインスピレーションが降りてきてから6年が経過していましたがドイツへの想いは少しも冷めることなく、それどころか益々深く強くなっていたので、本当に充実した気持ちで参加することができました。ドイツ団員との意見交換もとても刺激的で、同じテーマについて話しているのに、国の背景や文化によって出てくる意見がこんなにも異なるものなのかと驚きました。
ドイツ団員との最初の出会いの時は緊張したのを憶えています。まず、やはり背が高い人が多いな、と。実際には、日本に興味を持っている人が多いこともあって、皆とても優しい印象でした。私がドイツ語を勉強していることを知ってドイツ語習得のために絵本をプレゼントしてくれた団員もいました。
牧野:2009年の交流事業の最終日に空港でお別れした際に「なうかさん、ひとみさん、絶対にまたドイツに来ます!」と言ってくれて、それが実現しましたね。それに先立ち、日本でどのような準備をしたのか、あるいは仲良くなったドイツ団員のサポートがあったのか等教えてください。
田邉:私も空港でのシーンは今でも脳裏に焼きついています。交流プログラムに参加できたことが、ドイツでいつか暮らしたいという気持ちをさらに強いものにしてくれました。ドイツへ向けての準備ですが、具体的な準備段階に入る前にまずはドイツ語になるべく多く触れるように週に一回学校に通ったり、通勤電車のなかではテキストを読んだり耳からもドイツ語を聴くようにしていました。そんな私を見て電車内で見知らぬドイツ人女性が話しかけてきてくれた時は嬉しかったです。語学以外の準備では、私が滞在できる可能性は語学学校ビザしかなかったので、とにかく語学学校の申込みと生活する場所を見つけることが最優先でした。仲良くなったドイツ団員たちとは、当時はほとんど英語ですが Skype で時々会話を楽しんだり、クリスマスの時期には素敵なカードやお菓子が届いたり、交流プログラムの翌年には彼らを訪ねて再びドイツで休暇を過ごしたりと、友好をどんどん深めていくことができました。そして、そんな仲間の一人の住居の一部屋を貸してもらえることになったのです。これは本当にありがたかったです。
牧野:ドイツに「戻って」来たのはいつで、到着後、最初はどんな感じでした?
田邉:2012年の秋、ベルリンでした。
到着して一週間後には語学学校が始まり、生活に関しても語学学校に関しても、毎日緊張していたのを思い出します。色々なことがよく分からないまま、役所でのビザ申請はだいぶ先の予約しか取れず不安だったり、必要な書類の難しい文章を当然すべてドイツ語で読むことなどできず、当時助けてくれた友人たちには本当に感謝しています。日本でドイツ語を少しは勉強してきたと言っても、生のドイツ語に日々触れて生活することは全くの別次元だということを身をもって体験しました。語学学校の最初のテスト結果で中級クラスからスタートとなりましたが、集まったクラスメイトたちは大半がヨーロッパからの人たちだったため既に会話力のレベルがとてつもなく高く、毎日ついていくのが本当に大変でした。学校の授業と宿題で毎日がいっぱいいっぱいになってしまい、季節は秋が深まるにつれベルリンの街も私の気持ちもグレー一色・・・。大好きなドイツに来たものの、スタートはそんな感じでした。
そんななかでも、時々私を誘い出してくれる友人たちが近くにいてくれたり、タンデムパートナーなどの新しい友達も作ることができて徐々に生活が落ち着いていきました。改めて思い返してみても、本当にたくさんの人に助けてもらったことに心から感謝の気持ちです。
牧野:どの時点で、そしてどのような理由でドイツに長期滞在し仕事もすると決心しましたか?
田邉:いつまでドイツに滞在するかは最初決めていませんでしたが、語学学校ビザでは一年しか滞在できないため、それ以上滞在したければ仕事を探さなければなりません。語学学校をメインに過ごした一年はそんなこんなで余裕など全くなかったため、自ずと「一年で帰るのは短すぎる」と半年くらい経ったあたりから思うようになりました。ドイツで暮らしているとはいうものの、ドイツのドの字もよく分かっていないまま日本の生活に戻ることは実際想像できませんでした。私はいつも直感で動くのですが、このときも、このままドイツで生活しつづけるほうが自然なことのように感じました。そして滞在を可能にするために仕事を探すことを念頭に置いて過ごすようになりました。
牧野:今はどこに住んでいて、なにをしていますか?コロナ禍を無事に乗り越えることができましたか?過年度のドイツ団のメンバーとは今でも会っていますか?
田邉:現在はバイエルン州で販売員をしています。コロナ禍においては、次に日本に行けるのはいつになるかなと想像しながら、それなりに日々の生活は乗り越えることができています。仲の良いドイツ団メンバーとは時々連絡をとっています。すぐに会える距離ではないですが、一緒に日本を旅行したことのある友人もいますし、今後状況が落ち着いたらまたみんなに会いに行きたいと思っています!
牧野:最後の質問です。日独勤労青年交流に参加したことで、総じて人生にどのようなインパクトがありましたか?
田邉:私はドイツという国そのものに既に興味があるなかで日独勤労青年交流プログラムと出逢いました。そして、ちょうど働く業界を大きく転向した直後でもあり、会社を通して社会に貢献したい強い気持ちがあったため、参加した時のモチベーションは自分自身が知るなかでもかなり高いものでした。このプログラムに参加できたことで一番大きかったのは、「私はいつか必ずドイツで生活する」という想いがより確実なものとなり、より現実味を帯びたものになったことです。それはプログラムの内容のおかげでもあり、出逢った人々のおかげでもあります。今ドイツで暮らすことができている私は、すべて繋がっているのを感じています。日独勤労青年交流で出逢った人たちと今もこうして交流できていることは私の人生にとても大きなインパクトを与えています。今回このような過去を振返る機会をいただいたことで、私がドイツでの生活を実現させ豊かなものにするためには欠かせないご縁だったことに改めて気づかされました。