メインコンテンツに移動

サンドラ・へフェリン――二つの視点から日本社会を捉えるエッセイスト(リレー❤︎エッセイ 日独交流の懸け橋をわたる人)

Blog Article Publish Date
Teaserbild des Blog-Beitrags
ドイツ暮らしの日本人が「あれ?」と思うことがあるように、日本に暮らす外国の方が「あれ?」と思うことも多いでしょう。サンドラ・へフェリンは日独両方の視点で日本社会をみつめています。

板倉岩男――東ドイツ・ライプチッヒ鋳造プラント・プロジェクト(リレー❤︎エッセイ 日独交流の懸け橋をわたる人)

Blog Article Publish Date
Teaserbild des Blog-Beitrags
「ドイツ」と聞いて、1949年から1990年にかけて存在したドイツ民主共和国(通称東ドイツ)を思い起こす人はどれくらいいらっしゃるでしょう?同地で勤務した三田氏(写真右端)が、この写真撮影七ヶ月後に若くして亡くなった板倉氏(左から二人目)を中心に、想い出をご寄稿くださいました。

シュテファン・ポクラント――ベルリン日独センター日本語講座の元受講者が日本企業に就職!(リレー❤︎エッセイ 日独交流の懸け橋をわたる人)

Blog Article Publish Date
Teaserbild des Blog-Beitrags
ベルリン日独センターが初めて日本語講座を提供したのは1986年のことでした。そして、2001年に統合的アプローチによる日本語教授法を導入し、現在にいたっています。今まで大勢の方々に受講いただいた日本語講座ですが、その一人、「ベルリン日独センターに来ると『帰ってきたな~』って思うんです。」と言われるポクラントさん。現在キリンヨーロッパのエリアセールスマネージャーとしてキリンビールの販路拡大に尽力されているポクラントさんにベルリン日独センターの桐月映実がインタビューしました。

メームケン・ユリ子――環境と持続可能性の分野における日独協力に捧げた人生 (リレー❤︎エッセイ 日独交流の懸け橋をわたった人)

Blog Article Publish Date
Teaserbild des Blog-Beitrags
ベルリン日独センターとエコス・コンサルティング&リサーチ社は何年にもわたり共同で多くの会議系事業を実施してきました。昨年逝去された同社代表取締役のメームケン・ユリ子氏の想い出を、同社代表取締役のヨハンナ・シリング氏がご寄稿くださいました。

ヴェルナー・パシャ――旭日中綬章受章者(リレー♥エッセイ 日独交流の懸け橋をわたる人)

Blog Article Publish Date
Teaserbild des Blog-Beitrags
日本政府は昨年、ベルリン日独センター副総裁のヴェルナー・パシャ教授(Prof. Dr. Werner PASCHA)に対し、日独パートナーシップへの長年に渡る功績を称え、旭日中綬章を授与すると発表しました。パシャ教授は中でもベルリン日独センター、デュースブルク・エッセン大学東アジア研究所(IN-EAST)、KOPRA(東アジアの企業とドイツの学生を繋ぐプラットフォーム)、日独文化関係促進財団(JaDe-Stiftung)、ニーダライン独日協会、現代日本社会科学学会(VSJF)、ヨーロッパ日本研究協会(EAJS)における活動を通じ、日独関係の発展に貢献してきました。